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スタンの日記です

ちゃんと食べる幸せ

今日の晩ごはんは餃子とビールと野菜サラダ(画像なし)
餃子は豚肉を多くすると食感が肉肉しくて餃子でなくなってしまう
具はキャベツとか韮とか白菜とかをたくさんいれる
水もちょっと入れてふやかす
豚肉も脂身の多い安っすーいもの
そうするとジューシーでいくらでも食べられる
皮は小麦粉=炭水化物なので白ごはんはガマン

冷凍食品のでも焼いたの売っているのでも店で食べても餃子好きだな〜
そりゃもうぜったいビールが必要

なんでそんなに「食べる」にこだわるか?
ちょっと理由がある

理由① 
子供の頃は貧乏だったので食事にお金をかけられなかった
かなり大人になるまで牛肉って食べたこと無かった気がする
ほんとたまにのすき焼きも豚肉だった

父親が偏食なので食卓に出てくる献立は決まりきったものだった
テレビでタレントがおいしそうな料理を食べていると
「あーゆうの食べたい!」って言ってたっけな

母親は「自分で稼ぐようになったらいくらでも食べればいい」って…
その時代への復讐なんだと思う

理由②
そのド偏食の父親も歳をとってボケてきてしまい
今は胃婁(いろう)で日々の栄養を得ている

ここまでくるにはいろんなドラマがあった
「そんな人工的に栄養を入れることがお父さんの望んでいたことなの?」
って言う姉に
「お父さんだって自分でどうしたいかわかんないんだよ。二人の子供がいろいろ考えて決めたことだからこうすることが正解なんだよ。そもそも何が正解なんてないんだよ。僕はおとうさんに生きていてほしいんだよ!」
って泣いて説得したこと・・・

父がまだ自分で食べられる頃に好きだった「どら焼き」を持っていって
二人で食べたことを思い出す

口から食べられなくなった父に代って食べているわけではない
父だっていまさら食べたいものなど無いんだろう

僕は今のところ食欲はある
その食欲を支えるだけの経済力も(運よくまだ)ある

ちょっとストレスがかかるととたんに食べる気がなくなってしまうけど
「○○食べたい」って思うことは「生きたい」って思うことだ


今週は風邪をひいてしまい水曜日には仕事を休んでしまった
熱も出て声も出なくて「タマゴおじや」も味がわからなかった

「ちゃんと食べる幸せ」を実感した